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古本とうつわとアートのお店器道楽では、常時古本、古書の買い取りを行っています。古いもの、ISBNコードの無いもの、他店でお値段が付かなかったものでも大歓迎です。単行本、文庫本、ノンジャンルで買取り致します。アート芸術、哲学思想、医学心理学、建築工学、数学物理学、画集写真集、展示会図録などの専門書は特に高価買取致します。
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特別展 北斎 不屈の画人魂 図録|古本
¥1,000
特別展 北斎 不屈の画人魂 編集:名古屋市博物館 中日新聞社 発行:名古屋市博物館 中日新聞社 中部日本放送 発行年 1991年 状態:スレ、薄汚れ ごあいさつ 浮世絵版画は、江戸時代の後半、歌麿、北斎、広重などのすぐれた絵師たちを輩出したことにより、 その華麗な花を一気に開かせました。そしてそれは、西洋の画家たちに注目され、ヨーロッパ絵画の動向に少なからぬ影響を与えています。 平成三年十月芸術性を示す肉筆画など、北斎の活動の舞台となったすべてのジャンルにわたって作品を紹介します。 本展の主旨をご理解いただき、貴重な作品を快くご出品いただきました所蔵家の方々ならびに、ご指導いただきました各位に、深く感謝いたします。 なかでも北斎は、みずから画狂人と称しながら、その九十年にわたる生涯を通じて、流派や伝統にとらわれることなく、浮世絵の表現の可能性に挑戦し続け、独自の堅固な芸術世界を構築しました。 北斎は、いまや日本の芸術家の中で世界中に最もその名を知られている人物といっても過言ではありません。 今回の展覧会は、その不屈の画狂人「北斎」の画業の全貌を紹介するもので、代表作「冨嶽三十六景」に代表される風景版画のみならず、すぐれた花鳥版画や、北斎芸術の宝庫ともいえる版本、深い芸術性を示す肉筆画など、北斎の活動の舞台となったすべてのジャンルにわたって作品を紹介します。 本展の主旨をご理解いただき、貴重な作品を快くご出品いただきました所蔵家の方々ならびに、ご指導いただきました各位に、深く感謝いたします。 平成三年十月 名古屋市博物館 中日新聞社 中部日本放送
光の幻想・ガラス工芸の美 ルネ・ラリック展 図録|古本
¥1,000
光の幻想・ガラス工芸の美 ルネ・ラリック展 監修:池田まゆみ 編集:勝又順子 発行:ファンデーションカジカワ 発行年 2001年 状態:スレ、薄汚れ あいさつ 1880年フランス、シャンバーニュ地方に生まれたルネ。ラリックは、1900年に開かれたバリ万国博覧会で「アール、ヌーヴォー」の宝飾デザイナーとして名声を得、その後ガラス工芸品の制作に転向して「アール。デコ」のガラス工芸作家として成功を収めました。 彼は動、植物などの自然物と古典的な人物像を主なモチーフとして、屋内外の幡広いジャンルにガラス作品を創作しています。その功績は、実用的な製品を洗練された感性と独自の技術によって知的で気品のある造形美に引きあげたことにあるといえるでしょう。 この展覧会はガラス工芸作家としてのルネ。ラリックに焦点をあて、その近代的技法による創造性に満ちた作品群を紹介するとともに20世紀初頭の新しい装飾運動の中から生み出された造形表現を御鑑賞いただくものです。 最後になりましたが、本展覧会を開催するにあたり貴重な作品を快く御出品下さいました御所蔵者の方々をはじめ、御尽力いただきました関係の各位に心から御礼申し上げます。 平成13年 主催者
特別展 廣重 東海道五十三次 名所江戸百景の世界 1991年 図録|古本
¥1,000
特別展 廣重 東海道五十三次 名所江戸百景の世界 著者:ー 訳者:ー 発行:トーエイ企画 発行年 1991年 状態:スレ、ヤケ、汚れ このたび、名古屋市博物館と、東海銀行貨警資料館と共 催で、特別展「広重一東海道五十三次。名所江戸百景の世 界」を開催することとなりました この展覧会は、江戸時代に発展した浮世絵芸術のなかで 風景版画のジャンルを確立した歌川広重 (1797-1858) の 芸術の世界を紹介しようとするものです。 本展では、広重の名を不朽たらしめた保永堂版をはじめ 4種類の「東海道五十三次」、広重晩年の風景版画の大作「名 所江戸百景」など、東海銀行貨幣資料館が所蔵する広重の 版間利は30点余を一挙に公開し、彼の人となりと芸術性を認 合的に紹介します。 この機会に、風景のみでなく、そこに生きる庶民の生活 や風俗にも関心を寄せ、また、ゴッホなと西洋の画家たち にも影響を与えた、広重の版画の世界を堪能していただけ れば幸いです。 なお、東海銀行貨幣資料館が所蔵する広重版画のすべて が一挙に公開されるのは初めてであり、国内で開催された 広重の展覧会では最大の規模となります。 また、日本の文化の発展を願う二つの博物館が共同で企 両した展覧会であるという点でも意義あるものと思います。 本展を開催するにあたり、ご指導。ご協力を賜わりまし た関係各位に深く感謝いたします。 平成3年6月
原典による 社会学の歩み 安田三郎 |古本
¥1,900
原典による 社会学の歩み 著者:安田三郎 訳者:ー 発行:講談社 発行年昭和49年初版 状態:函スレ、ヤケ、汚れ 帯傷み 今から二十五年くらい前、日本の社会学界は世界の社会学界とともに、方法論や概念論に重点をおく思弁的な社会学から、社会調査を重視し社会に直接貢献しうる社会学へと、方向転換が行われていた。そして、若い社会学研究者は自由奔放に自分のテリトリーを設定し、確実に成果を収穫した。しかし、ほとんどの研究者は自分の殻の中に閉じこもって、「社会学とは何なのか」について答えようとしない。 私は、社会行動・社会過程・社会集団・社会階層・社会意識・ 大社会・社会変動等の各論の構成から社会学史を編纂すれば、「社会学とは何なのか」を明確に内外に示せるのではないかと考え、この仕事に取り組んだ。 本書「はじめに」より
THE WORLD OF LOUIS COMFORT TIFFANY ルイス・カムフォート・ティファニーの世界 編集 堀内武雄 |古本
¥1,900
THE WORLD OF LOUIS COMFORT TIFFANY ルイス・カムフォート・ティファニーの世界 編集 堀内武雄 著者:ー 訳者:ー 発行:グレコ・コーポレーション 発行年1994年 状態:良好 ごあいさつ 今から三百八十二年前の慶長十七年(1612年) 徳川家康公の九男、御三家筆頭の尾張徳川家藩祖義直公が清洲城から名古屋城へ御引移しの時、それに伴って城下町ぐるみを移りました、いわゆる「清洲越し」より数えて、堀内家十一代目にあたる祖父は、現在の名古屋駅前地区の開発に尽力したその功績によって、明治三十五年(1902年) に名古屋市から、町名に堀内の村をとり、黒内町(住居表示に関する法律が施行され1977年に名駅に町名変更)を眠りました。町名を賜るということは極めて名誉ある異例のできごとでした。 私はその相父より今から五十年ほど前に受けた影響もあり、日本の建築物をはじめ庭園や美術品、とくに焼きものに興味を持ちました。祖父は日常、質素な暮らしをしていましたが、茶道に関しては特別の想いがありました。隠居生活に入ってからは、さらに茶の湯の世界に浸り、茶、茶掛けの鑑賞を楽しみ、庭の草木にも愛情をそそぎ、茶室などの造作にもきめ細かな指示を出入りの庭師さんや大工さんにりえていた光景が、昨日のことのように想い出されます。祖父の大好きなお茶の時間ともなりますと、井戸水を手桶に汲んで運ぶのが幼いころの私の役目でした。祖父は次男の私にも同じようにお茶をたててくれて、茶器や、茶掛けなどのことを分かりやすく話してくれましたが、幼いころでしたので相父の話を聞いても理解できないことばかりでした。しかし、今、 思いますとこのころから無意識のうちに私の美に対する造語が次第に深まり、培われていったのではないかと思います。このように私の日本の建築物をはじめ庭園や美術品への憧憶は祖父から受け継いだ尊い財産です。 その後、長年にわたり、事業に携わってきましたが、近年、関連会社の仕事の上で建物の造作に合ったランプを探し求めていたそんな折に出逢ったルイス・C、ティファニーのランプは、世界の芸術をはじめとして、日本美術の特徴である自然美もみごとにとり入れ、独自の世界をつくりあげていました。そのランプの放つ鮮やかな光彩と、精緻を極めたその美しさ、そして芸術の領域の広さに深い感銘を受けました。 それ以来、今日までの三年近くは、現在の事業にとどまらず新しい文化事業のために、ただひたすらに日本とアメリカを幾度となく往き来して、ルイス・C、ティファニー作品の蒐集に情熱的な日々をついやしたのであります。今や私にとりましてルイス・C、ティファニー作品を蒐集することは、生涯のよろこびであり、祖父が与えてくれました幼いころの美への想いの集大成であります。 ザ・アンカーマン・コレクションの名称の謂れは、私が、ルイス・C、ティファニー作品を蒐集する最終走者であるという位置を、私なりに自覚して蒐集をはじめましたが、しかし、ゴールではトップになることを心に秘めて、ザ・アンカーマン・コレクションと名付けました。 本カタログの作成にあたりましては、現在、収蔵していますマスターピースといわれている作品のなかより、 私の好きな逸品を選び、作品の大きさや色彩などの調和も考えて、十二の芸術分野に分けて収録させていただきました。本カタログがルイス・C、ティファニーの作品に関心を持たれる方々にいささかでもお役にたてば、これに優る喜びはありません。 ルイス・C、ティファニーの世界は、とても幅が広く、しかも、奥行きは深く、ルイス・C、ティファニーの芸術の粋を印刷物で表現することには限界があります。特に、代表作といわれていますヘレン・グールドの風景(通称:鹿の窓)に見られるウインドーは目を見張るばかりの高い芸術性を示しています。この他にもルイス・C、ティファニーの有名な作品は、高名な美術館や世界のコレクターのもとで大切に愛蔵されています。 最後に、19-20世紀装飾美術の研究家」。アラスター・ダンカン氏、アシスタントのメアリーベス・マカフリー嬢をはじめ、私に多大の厚意を下さったティファニーのコレクター各位に感謝し、心から厚くお礼申し上げます。 1994年8月吉日 グレコ・コーポレーション株式會社 ザ・アンカーマン・コレクション 取締役社長 堀内武雄
没後200年 若冲 特別展覧会 図録 |古本 |伊藤若冲
¥1,900
没後200年 若冲 著者:ー 訳者:ー 発行:京都国立博物館 発行年:平成12年 状態:ヤケ、スレ、薄汚れ
WOLS Aquarelle 1937-1951 ヴォルス 画集 ドイツ語 |古本
¥6,900
ヴォルス作品集 144p 24,5x17,5cm ドイツ語 特に目につく汚れや傷みもなく良い状態です。
WOLS ヴォルス 画集 ドイツ語 |古本
¥12,900
ヴォルス作品集 全407ページ ドイツ語 縦28.5cm 横25cm スレ、薄汚れ、カバー薄ヤケ ヴォルス作品集 絵画 水彩画 デッサン 写真 版画 第二次世界大戦後、ほとんど神話的な魅力を持つ芸術家の名前であるヴォルスは、1913年にベルリンでヴォルフガング・シュルツェとして生まれ、ドレスデンの尊敬される公務員の家庭で育ち、現在ではごく一部の鑑識の間でしか知られていない。38歳の芸術家が若くして亡くなった後(1951年、パリ)、彼の作品は、実存主義の象徴であり、戦争による破壊と原子爆弾の脅威の寓話であり、その時代の象徴とみなされた。それはまた、画家の無条件の自由、極端な個人主義の典型であり、それはまた、気難しい画家の冒険的な伝記にも反映されていた。ヴォルフスは間違いなくヨーロッパの名声を誇る芸術家であり、ヨーロッパの戦後美術の先駆者であり、アメリカの発展におけるジャクソン・ポロックの重要性に匹敵する人物である。 ヴォルスはバウハウスと接触した後、1932年に初めてパリを訪れました。1933年、彼はドイツ労働奉仕団への徴兵を拒否しました。この徴兵は彼の生涯に深刻な影響を及ぼすことになりました。彼は幼い頃から写真に興味を持っており、1937年にはパリ万国博覧会のファッション館の写真家として初めて公式の職を得ました。現存する数少ない初期の水彩画と同様に、彼の写真作品はシュルレアリスム、そしてヴォルスが物体の世界から出発して急速に抽象化へと向かっていった独特の方法と密接に結びついています。
アルフォンス・ミュシャ「生涯と芸術」展 1995-97 図録 |古本
¥1,000
アルフォンス・ミュシャ「生涯と芸術」 著者:ー 訳者:ー 発行:東京新聞 発行年:1995年 状態:ヤケ、スレ、薄汚れ あいさつ アルフォンス・ミュシャの名は、近年のアール・ヌーヴォー・ブームにともない、あまねく知られるようになりました、日本でもその人気は揺るぎないものとなっています。グラッフィック・アーティストとしての才能がいかんなく発揮された、ミュシャが描く愛らしく、匂いたつような女性像は、今も多くの人々を魅了してやみません。まさにアール・ヌーヴォー芸術の精華といえるでしょう、ミュシャの天分は世紀末のパリで花開きました。しかしながら、ミュシャの芸術の極みはそれだけにとどまりません。自らスラヴ民族の誇りを忘れることのなかったミュシャは、パリでの商業的成功のあと制作拠点をアメリカへ移し、そしてついには再び故国チェコへ戻ります。アール・ヌーヴォー画家として成功をおさめたミュシャをさらなる制作活動へと導いていったのは、チェコ人としての内なる目覚めとその精神世界への憧憬でした。 本展は、次第に民族的な意識にまで到達していったミュシャの多彩な芸術を初期から晩年にいたる作品二百数十点により振り返るものです。 本展開催にあたり、その実現に絶大なご協力を賜りましたミュシャ財団、 ならびに堺市文化振興財団、また貴重な作品をご出品いただきましたチェコの各美術館、株式会社ドイ、各所蔵家の方々、そのほか関係各位に対して厚く御礼申し上げます。 主催者
奈良の大仏 世界最大の鍛造物 香取忠彦 イラスト穂積和夫 |古本
¥700
奈良の大仏 著者:香取忠彦 訳者:ー 発行:草思社 発行年:1981-1993年21刷 状態:ヤケ、カバー端ヨレ、スレ、薄汚れ
正倉院展 1995年 図録 |古本
¥700
正倉院展 図録 著者:ー 訳者:ー 発行:奈良国立博物館 発行年:1995年 状態:見返しに記念印 ヤケ、スレ、薄汚れ
上村松園展 2004年 図録 |古本
¥1,200
上村松園展 図録 著者:ー 訳者:ー 発行:三重県立美術館 発行年:2004年 状態:スレ、薄汚れ 二〇〇四年ごあいさつより 一九八二(昭和左七)年に開館した三重県立美術館は、開館二〇周年を機に増改築を行い、 二〇〇三(平成一五)年一一月にリニューアル開館しました。このたびリニューアル開館を記念して「上村松園展」を開催致すこととなりました。 上村松園は、一八七五(明治八)年京都の中心部四条に生まれ、幼少時から画才を発揮して、 小学校卒業後京都府画学校に入学、鈴木松年に入門しました。その後、幸野模嶺・竹内栖鳳にも学んで、画家として頭角を現しました。二八歳で画家として独立、一九○七(明治四○)年からは文展・帝展に出品し、大正期には《花がたみ)(一九一五年)、《焰》(一九一八年)など前期の代表作を残しました。昭和に入ると、(母子) (一九三四年)や《序の舞》(一九三六年) に代表される格調高い女性像を描き、また戦中期には市井の女性を題材に清潔感あふれる女性像を制作し、一九四九(昭和二四)年に七四歳でこの世を去りました。 上村松園の画業と生涯は、近代京都の日本画界における伝統摂取の問題、日本絵画の重要な主題である美人画の近代以降の展開、近代社会における女性画家の在り方など、重要な課題を今も私たちに提起し続けています。本展は、代表作約八〇点と大下絵約二〇点を通じて不世出の女性画家・上村松園の作品が提起する様々な問題に迫ろうとするものです。 展覧会を開催するに当たり、本展の主旨をおくみ取りいただいたご所蔵家からは、貴重な作品を数多くご用品いただきました。また、上村淳之画伯にはご助言・ご指導をいただきました。 心より感謝申し上げます。さらに、ご協力・ご協賛いただきました関係各位、ご支援いただきました多くの様に心からお礼申し上げます。
24時間の明晰夢 夢見と覚醒の心理学 アーノルド・ミンデル |古本
¥4,900
24時間の明晰夢 著者:アーノルド・ミンデル 訳者:藤見幸雄 青木聡 発行:春秋社 発行年:2001年初版 寸法;19,6x14x2,3cm 状態:スレ、薄汚れ (第一章本書について より一部) 私の目的は、ドリーミングにときどき気づくことではなく、ドリーミングに対する自覚を常に保つことである。私が〈24時間の明晰夢〉と呼ぶ新しい方法によって、私たちは日常的な世界の背景を学んで、癒し、予知、永遠性を探究していく。 本書の第一部では、アボリジニーのドリーミングを探究し、量子物理学、心理学、仏教との関連を指摘する。 第二部では、そうした関連の意味を検討し、ドリームワーク、ボディワーク、慢性症状のワーク、 関係性のワーク、グループワークの新しい明晰な方法を紹介する。 第三部では、〈24時間の明晰夢〉の実践の意味を探究する。ドリーミングに気づき、明晰になることが、永遠の哲学とのつながりや新しい自己イメージをもたらすことを見ていく。本書を読み進めるうちに、あなたはドリーミングの自覚を鍛えることに誘われるだろう。もしかしたらあなたは、ドリーミングに対する自覚を常に保ち、それを生きることに基づいて、ライフスタイルを全面的に変化させようとさえ考えるかもしれない。
夢の操縦法 エルヴェ・ド・サン=ドニ伯爵 |古本
¥4,900
夢の操縦法 著者:エルヴェ・ド・サン=ドニ 訳者:立木鷹志 発行:図書刊行会 発行年:2012年 2014年初版3刷 寸法;20,2x13,8x3,4cm 状態:汚れなく良好
夢分析1 ユング・コレクション13 C.G.ユング|古本
¥4,900
夢分析1 ユング・コレクション13 著者:C.G.ユング 訳者:入江良平 発行:人文書院 発行年:2001年初版 寸法;21,6x16sx3,2cm 状態:蔵書印、除籍印、帯汚れ、傷み、本体良好 (序文より一部) ユングが自らの心理学思想および分析の方法、さらには社会、個人、宗教、歴史等々に関する見解を開陳したセミナーについては、従来、ユングの弟子たちのあいだでもごく僅かの人々にしか知られていなかった。聴講生は限られており、また献身的な参加者が作成した謄写版刷りの筆記録は公刊されず、ただ限定された予約購読者のみに配布された。ユング関係の図書室には、何巻ものセミナー・ノート(適切にも、そう呼ばれている)が収められているが、通常、分析家の承認を得ずには閲覧できないことになっている。ユング派の出版物の中でたまに言及されることはあっても、引用されることはめったになかった。この非公開の方針はユングの承諾を得ていた。しかし彼も最後にはセミナー・ノートを彼の公刊作品に含めることに同意した。
夢分析2 ユング・コレクション14 C.G.ユング|古本
¥4,900
夢分析2 ユング・コレクション14 著者:C.G.ユング 訳者:入江良平 細井直子 発行:人文書院 発行年:2002年初版 寸法;21,6x16sx3,4cm 状態:蔵書印、除籍印、帯汚れ、傷み、本体良好 (「夢分析1」序文より一部) ユングが自らの心理学思想および分析の方法、さらには社会、個人、宗教、歴史等々に関する見解を開陳したセミナーについては、従来、ユングの弟子たちのあいだでもごく僅かの人々にしか知られていなかった。聴講生は限られており、また献身的な参加者が作成した謄写版刷りの筆記録は公刊されず、ただ限定された予約購読者のみに配布された。ユング関係の図書室には、何巻ものセミナー・ノート(適切にも、そう呼ばれている)が収められているが、通常、分析家の承認を得ずには閲覧できないことになっている。ユング派の出版物の中でたまに言及されることはあっても、引用されることはめったになかった。この非公開の方針はユングの承諾を得ていた。しかし彼も最後にはセミナー・ノートを彼の公刊作品に含めることに同意した。
社会科学と現代仏教 仏教の社会化をめざして 孝橋正一|古本
¥1,200
社会科学と現代仏教 仏教の社会科をめざして 著者:孝橋正一 訳者:ー 発行:創元社 発行年:昭和43年初版 寸法;22,4x16,1x2,6cm 状態:ヤケ、シミ、スレ、汚れ (一章より一部) 第一章 キリスト教と社会主義 一 資本主義への宗教の適応 歴史的所産としての宗教は、その発生以来、みずからを生んだその社会・経済構造とその変化に対応させつつ、その性格と形態を決定し、また表現してきた。たとえば、中世封建制社会におけるカトリシズムは、宗教(教会)そのものがもっとも基礎的・包括的な政治体系として存在し、封建的な生産関係に対応する静態的な社会制度を、 神から与えられた変えてはならないもの、変えるべきものでないと規定するとともに、農奴制や身分制秩序、家父長的な支配と隷属を規定する一つの大きな文明にほかならなかった。ところが、中世社会の崩壊と社会の近代化への諸徴候は、いわゆる宗教改革を実現させた。カトリシズムの宗教帝国に対する反逆のなかから生まれたプロテスタンティズムは、教会の権威から聖書の福音へひきもどすことによって、キリスト教の愛が実現することを説いた。また同時に、宗教改革を契機として、教会が世界であった過去に対して、新しい時代には国家に教会が従属し、その道徳的援護をおこなうという事態をもたらした。しかしルーテルの思想は、過渡的な時代を反映する過渡的な内容をもっていろどられていた。封建制に対するブルジョアジーの闘争は、宗教改革としてその社会的表現をみたが、それが農民戦争にまで発展したとき、ルーテルはそれに背をむけてしまったのである。なぜなら、彼は「教会制度の階層的な差別をうちこわしたが、身分と隷属の原理をもつ社会的な階層秩序は、そのままこれをうけいれた。」したがって、「農奴制は社会にとっては必要な基礎であるという確信から、これを廃止しようとする計画をみておどろいた」からであった。
解析入門1 S.ラング|古本
¥1,200
解析入門1 著者:S.ラング 訳者:松坂和夫 片山孝次 発行:岩波書店 発行年:1968年1刷 1974年16刷 寸法;22,1x16x2,4cm 状態:ヤケ、シミ、スレ、汚れ (序文より一部) 日本版への序文 私は、日本の数学者が、私の微積分学の書物を翻訳することにきめられたことを、たいへん嬉しく思っております、そして、立派な翻訳とそのためにはらわれた御苦労に対して、片山・松坂両氏に感謝をささげます、私はたくさんの日本人数学者を友人にもっています。そして将来は、日本語訳の私の書物を利用された方の中から、もっともっと多くの友人を得ることができるであろうと期待しております。 微積分学の主題は古いものであります。けれども私は、この書物全体を通じ、 いくつかのまだ解決されていない美しい問題を指摘することによって、この学問が今日もなお生き生きとしたものであることを示そうとこころみました、私は、私が学生諸君に数学を教えるだけでなく、学生諸君がこれらの問題を解いて私に数学を教えてくれることをも、希望しているのであります。 Serge Lang New York, 1968
シュールレアリスム イヴ・デュプレシス|古本
¥900
シュールレアリスム 著者:イヴ・デュプレシス 訳者:稲田三吉 発行:白水社 文庫クセジュ 発行年:1963年1刷 1975年17刷 寸法;17,6x11,3x0,9cm 状態:ヤケ、シミ、角傷み スレ、汚れ (序より一部) 序 シュールレアリスムはしばしば、一種の知的なスノピスムとして、また精神の堕落として考えられている。また、なんとかして人を籍かせてやろうと望む、芸術家の悪ふざけと見なされている。事実、さまざまな偏見の枠のそとに飛びだそうと望んだ、これら改革者の歩みを、彼らの企てた精神の冒険をつうじてたどろうとするよりも、彼らに激しい非難をあびせたほうが、はるかにたやすいと言える。ところがシュールレアリスムの目ざしたものは、文学の枠のそとの問題であった。なぜかというと、あまりにも功利主義的な文明のさまざまな束縛から、人間を解放することだけを目標としたからである。人間をその麻痺状態からゆりおこすために彼を戸まどわせ得るようなすべてのものを強調する必要があった。また、知性には思いきって背をむけ、そして人間存在の底に秘められたさまざまな生命力を再発見し、その結果、それら生命力の荒々しい波が、人間をより広い地平線の方まで押しあげるようになる必要があった。
シュールレアリスム宣言集 アンドレ・ブルトン|古本
¥1,500
シュールレアリスム宣言 著者:アンドレ・ブルトン 訳者:森本和夫 発行:現代思潮社 発行年:1975年初版 寸法;19,4x13,9x1,7cm 状態:ヤケ、シミ、角傷み スレ、汚れ (本文より一部) 6シュールレアリスム宣言(一九二四年) 生活にたいする信頼、生活のうちの最も不確かな面にたいする信頼、もちろんここでいっているのは現実的な生活のことなのだが、そういったものにたいする信頼が、いつまでも続くと、ついには、この信頼は宙に迷う。人間という、この窮極的な夢想家は、日ましにおのれの運命にたいする不満をつのらせ、自分が用いるはめに立至っている品々を、苦労して調べまわすのである。しかも、これらの品々たるや、自分の無頓着によって、あるいは自分の努力によって、人間の手に委ねられたものなのだ。いや、ほとんど常に、自分の努力によってというべきだろう。それというのも、人間は働くことに同意したのであり、 少くとも自分の幸運(みずから自分の幸運と呼んでいるもの!)を身をもって生きることを厭わなかったのだからである。「しかし、こうして調べまわしてみるようになった」今では、たいへんな謙虚さが人間の持ち前となる。すなわち、人間は、自分がどんな女を手に入れ、どんなつまらぬ事件に足をつっ込んだかを知っているのだ。〔したがって」、富とか貧困とかは人間にとって何物でもないのであって、この点に関しては、人間は生まれたばかりの子供のままなのである。また、人間の道徳的意識の称揚というようなことについてはどうかといえば、人間はそんなものがなくても平気でいられるということを私は認める。「そんなわけで」、もしもいくらかの明敏さを保持しているならば、この際、人間としでは、自分の幼少時代をふり返るほかはない。幼少時代というものは、調教師たちのおせっかいによって、いかに台なしにされているにせよ、だからといって自分としては魅力に満ちたものに思われることになんらかわりはないのだ。そこでは、厳密さとして知られているようなものは何ひとつ存在しないために、人間には、同時にいくつかの人生を送るという展望が残されているのである。人間は、このような幻想のなかに根をおろし、もはや あらゆる本物の一時のうちの極度の容易さをしか認識しようとしない。毎朝、子供たちは不安なしに出かける。すべては手近にあり、最悪の物質的条件でさえも、素晴しいのである。森は白いこともあり、黒いこともあるが、彼等はけっして眠ったりなどしないであろ
理性と反抗-反時代的批判論集- 奈良和重|古本
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理性と反抗ー反時代的批判論集ー 著者:奈良和重 訳者:ー 発行:酒井書店 発行年:1974年初版 寸法;22x15,8x1,9cm 状態:ヤケ、シミ、角傷み スレ、汚れ、一部書き込み (第一部より一部) 第一部 カール・ポパーのマルクス主義批判 第一章歷史的予測と社会的実践の科学性について 一問題提起 史的唯物論は、社会発展、歴史過程に関する一般法則を明確化した科学的理論であるとともに、社会生活の個々の側面または歴史の具体的現象を研究するさいの、唯一の正しい科学的方法である。さらにそれは、社会主義の究極的勝利をもたらすため、社会発展の法則的知識をもって人びとを武装させ、歴史の進行方向に見透しと予見する力をあたえるものである、といわれる。「共産主義のための偉大な歴史的闘争の意識的な参加者となるためには、歴史的諸事件の真の原因と原動力を知り、社会的発展の法則を知らなければならない。社会にかんするマルクス・レーニン主義的科学だけが、社会発展の法則の知識をあたえ、生起する歴史的諸事件のなかで正しい進路を定め、それらの事件の意味を理解し、社会の発展の方向と歴史的展望をはっきりとみる可能性をあたえる。」 マルクスの定式化した史的唯物論は、あらゆるブルジョワ思想と対決し、その徹底的批判を通じて、生みだされたものである。その方法論的発見は、画期的意義を社会科学にもたらしたことはいうまでもない。マルクス主義は、従来さまざまな観念的史観、歴史形而上学的思弁を脱して、右にいわれたような歴史の科学として、はじめて自己完成をみたのである。しかしながら、この偉大な科学的業績は、すでにマルクスの存命中、それを受けとめるマルクス主義者の主体のうちに、みずからの科学性を喪失せしめるような危険性の萌芽をも含んでいた。マルクス自身の言葉として知られる、「私のしっていることは、ただ、自分がマルクス主義者ではないということである」ということが、これを明白に告げている。同様のことは、史的唯物論に関するエンゲルスの言葉からも察知されるところである。「吾々の史観は、なによりもまず研究のさいの手引であって、ヘーゲル主義的な (à la Hegelianertum) 構成のてこではない。全歴史があらたに研究しなおされなければならない。・・・・・そうするかわりに、史的唯物論という常套語は(なんやって常套語にできる)ただ多くのわかいドイツ人が彼ら自身の比較的に貧弱な歴史知識・・・・・・・・をてつとりばやく体系的にくみたて、しかるのち大いにえらがるのにやくだつだけである。」 このエンゲルスの言葉は、史的唯物論がその科学性を保持するには、その理論や方法を支える方法論的態度として、 ドグマ化への傾斜を、たえず意識的に喰いとめる努力がなくてはならないことをよく物語っていると思われる。このことは、現代のマルクス主義者にとっても、より真実であろう。マルクス主義理論は、それがより一層科学的知識として確証をうるには、自己完結した体系であると主張するのではなく、現実体験のなかでテストされ、修正される過程を経なければならないからである。そのためには、それがあくまで仮説的理論である、という謙虚な態度が必要である。そういう研究態度は、もちろん、マルクス主義者自身の問題提起や問題解決のうちにも反映されなくてはならない。科学というものに、独占的排外主義は禁物である。
機械の現象学 坂本賢三|古本
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機械の現象学 著者:坂本賢三 訳者:ー 発行:岩波書店 発行年:昭和50年初版 寸法;19,3x13,9x2,3cm 状態:ヤケ、シミ、角傷み スレ、汚れ (序論より一部) 序論 機械を哲学することの意味 1 機械と哲学 機械というものは、はたして哲学の対象たりうるものであろうか。 これまで、「科学」や「技術」あるいは「手段」については哲学的考察が行なわれてきた。しかし、「機械」について哲学的に扱われてきたことは、ごくわずかしかなかったといってよい。そのわずかた例の一つであるP・M・シュールの『機械と哲学』は、貴重な書物であるが、機械について「哲学した」ものではなく、哲学史的・技術史的研究である。ラ・メトリの『人間機械論』は機械の研究ではなくて人間についての研究であり、ユーアの『工場の哲学』はマルクスの機械制大工業についての研究に多くの示唆を与えた重要な文献であるが、それは哲学的取扱いではなく、科学的分析の書物である。N・ヴィーナーの『サイバネティクス』は機械を主題にした哲学の書物といってもよいと思われるが、それはサイバネティクスを一つの哲学とみなした場合であり、しかもこの哲学は徹底した科学的方法にもとづく哲学である。科学以外に哲学はないとする科学主義の立場をとる場合は別として、「哲学する」というとき、機械はその対象となり難いらしいのである。
中世の政治思想 J・B・モラル|古本
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中世の政治思想 著者:J・B・モラル 訳者:柴田平三郎 発行:未来社 発行年:1975年初版 寸法;19,8x14,2x2,3cm 状態:ヤケ、シミ、角傷み スレ、汚れ (第一章より一部) 第一章 中世政治思想とは何か 中世ヨーロッパ世界はひとつの終末――古典古代における古いローマ帝国の崩壊から始まった。 長い間、この巨大な組織は地中海世界に実践的な社会的・政治的統一をもたらしてきたが、紀元後四、五世紀にこの地域の西方におけるローマ文明の全組織は瓦解してしまった。その原因を一八世紀にギボンはバーバリズムとキリスト教の勝利と記したし、今世紀にはアーノルド・トインビーが外的プロレタリアートと内的プロレタリアートの圧力によるものと指摘した。この二人は言葉こそ違え同じことを意味しており、二人とも正しいことを述べているように思われる。 世俗権の領域では蛮族が、動的な精神的活力の領域ではキリスト教が、異教ローマに挑戦して勝利したが、このことは物質的な力を占有することによって、恒久的な政治社会を一人ぎめで建設しようとしてきた全ギリシャ、ローマ文化の伝統の挫折を印したのである。この瓦解するリヴァイアサンをローマと皇帝の崇拝を中心とする総合的な宗教感情で支えようとする試みは、まったく無益なことであった。
新版 日本の芸術論 安田章生|古本
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日本の芸術論 著者:安田章生 訳者:ー 発行:東京創元社 発行年:昭和32年 昭和47年16版 寸法;18,8x13,5x2,1cm 状態:ヤケ、シミ、角傷み スレ、汚れ (序より一部) すぐれた芸術論を書くことは、すぐれた芸術作品を作るのと同様に、たいへんむつかしいことである。日本においては、理論的に精細ですぐれているという芸術論はほとんど見いだされず、そのすぐれたものの多くは、すぐれた芸術家が深い体験にもとづいて述べた、感想文風のもののなかに見いだされる。そして、日本の芸術論は、その執筆動機を考えると、大体において、教育論的意味をもって書かれたもの(たとえば、藤原俊成の『古来風体抄』や藤原定家の『毎月抄』のごときはそれであり、技術論を主とした啓蒙的な多くの芸術論は、ほとんどこうした性格のものである)、秘伝を子孫に伝えるために書かれたもの(家や伝統を重んじた中世において、このことはいちじるしく、世阿弥の能楽論はその適例である)、随筆的ないしは覚え書き的性格をもって書かれたもの(鴨長明の『無名抄』や田能村竹田の『山中人饒舌』のごとき)、他を論難する目的で書かれたもの(香川景樹の「新学異見』のごとき)、さらにあるいは、門人や知人が聞き書きしたもの(芭蕉の俳論のほとんどは、この例にあたる)というように、分類することができるであろう。このとき、 たとえば世阿弥の場合は、そのいだいていた芸術論のほとんどすべてを、力をこめて書き残したと見られるが、芭蕉の場合は、その芸術論のすべてが的確に書き残されているとはいえないのである。