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社会科学と現代仏教 仏教の社会化をめざして 孝橋正一|古本
¥1,200
社会科学と現代仏教 仏教の社会科をめざして 著者:孝橋正一 訳者:ー 発行:創元社 発行年:昭和43年初版 寸法;22,4x16,1x2,6cm 状態:ヤケ、シミ、スレ、汚れ (一章より一部) 第一章 キリスト教と社会主義 一 資本主義への宗教の適応 歴史的所産としての宗教は、その発生以来、みずからを生んだその社会・経済構造とその変化に対応させつつ、その性格と形態を決定し、また表現してきた。たとえば、中世封建制社会におけるカトリシズムは、宗教(教会)そのものがもっとも基礎的・包括的な政治体系として存在し、封建的な生産関係に対応する静態的な社会制度を、 神から与えられた変えてはならないもの、変えるべきものでないと規定するとともに、農奴制や身分制秩序、家父長的な支配と隷属を規定する一つの大きな文明にほかならなかった。ところが、中世社会の崩壊と社会の近代化への諸徴候は、いわゆる宗教改革を実現させた。カトリシズムの宗教帝国に対する反逆のなかから生まれたプロテスタンティズムは、教会の権威から聖書の福音へひきもどすことによって、キリスト教の愛が実現することを説いた。また同時に、宗教改革を契機として、教会が世界であった過去に対して、新しい時代には国家に教会が従属し、その道徳的援護をおこなうという事態をもたらした。しかしルーテルの思想は、過渡的な時代を反映する過渡的な内容をもっていろどられていた。封建制に対するブルジョアジーの闘争は、宗教改革としてその社会的表現をみたが、それが農民戦争にまで発展したとき、ルーテルはそれに背をむけてしまったのである。なぜなら、彼は「教会制度の階層的な差別をうちこわしたが、身分と隷属の原理をもつ社会的な階層秩序は、そのままこれをうけいれた。」したがって、「農奴制は社会にとっては必要な基礎であるという確信から、これを廃止しようとする計画をみておどろいた」からであった。
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EL CAMINO DE SANTIAGO スペイン語 サンティアゴ巡礼への道|古本
¥1,500
EL CAMINO DE SANTIAGO 著者:ー 訳者:ー 発行:ー 発行年月日:ー 寸法;30,6x24,1x2,4cm 状態:角部ヨレ、スレ、薄汚れ
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回想の内村鑑三 鈴木俊郎編 |古本
¥900
回想の内村鑑三 著者:鈴木俊郎編 訳者:ー 発行:岩波書店 発行年月日:1956年1刷1965年7刷 寸法;18,7x13,5x1,9cm 状態:カバー端ヨレヤブレ、天地小口シミヤケ スレ、汚れ、遊び紙端キレ (はしがきより一部) 戦前の『全集』版には、各卷附錄の「月報」に、もっぱら舊友や近親や弟子たちの懷舊追憶の文章が載せられたが、のち、それらは一書に編集されて『追想集 內村鑑三先生』の名をもって、 昭和九年(1934)に刊行された。親近者の記録として特殊の價値を有するものであった。 そこでこのたび『著作集』版の刊行が完了したに際し、その「月報」に載せられた(また載せちるべくあった)諸家の文章を中心にして、當時「圖書」その他に載せられた文章をも含めて、 一書を編集することとなり、本書の刊行を見るにいたった。ここには、前回の文集には執筆されていず今回はじめて執筆を得た方々の文章のみを選んで収めることとしたのであるが、そういう方々はかなり廣く各方面にわたったのである。そのうちには、彼と同時代のいろいろな時期に、直接間接、彼に接觸した方々の多いことはいうまでもないが、また文章を通してだけ彼を知った後代の方々も少くはない。そのため、數十年をへだつ個人的回想もあれば、すでに一個の歴史的人物としての彼にたいする評論もある。おおむね(わずかの例外を除いて)舊友、肉親、弟子というような特にふかい親近の關係にあるよりは、むしろ思想的にも精神的にも、年代的にも立場のうえでも、遠近の差こそあれ、いまは彼とは相當の距離をもっておられる、それにもかかわらず、あるいは彼について記憶をうしなわず、あるいは彼の感化影響をみとめ、あるいは彼にたいし關心や共感を有せられる、そういう方々によって、ここにきわめて多角的な内村像が描かれたのである。
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ミトラの密儀 フランツ・キュモン |古本
¥1,200
ミトラの密儀 著者:フランツ・キュモン 訳者:小川英雄 発行:平凡社 発行年月日:1993年初版 寸法;19,5x13,5x2,3cm 状態:カバー端ヨレ スレ、薄お汚れ (序文より) 本書はローマ宗教の没落を描写しようとするものではないし、イタリアにオリエント宗教の隆盛をもたらした根本原因についての一般的考察に努めようというのでもない。また、哲学者たちの理論よりもはるかに活力があった分解酵母であるその教義が、いかにしてローマ帝国と古代人の全生活が依存していた国家的信仰を解体したか、それが解体した建造物の破壊が、いかにしてキリスト教によって完成されたかを示そうとするのでもない。さらに、偶像崇拝者たちと勢力を増大させたキリスト教会との戦いの種々な局面を辿ろうとするものでもない。こうした広範な主題についてはいつの日か取り組んでみたいとは願っているが、本書の中でそれを扱うことはできない。本書はこの決定的な転回の一局面だけを目標とし、マズダー教の一宗派がいかにして、そしてなぜローマ帝政期に帝国の支配的な宗教となるのに失敗したのかを、可能な限り詳しく解明したいのである。