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理性と反抗-反時代的批判論集- 奈良和重|古本
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理性と反抗ー反時代的批判論集ー 著者:奈良和重 訳者:ー 発行:酒井書店 発行年:1974年初版 寸法;22x15,8x1,9cm 状態:ヤケ、シミ、角傷み スレ、汚れ、一部書き込み (第一部より一部) 第一部 カール・ポパーのマルクス主義批判 第一章歷史的予測と社会的実践の科学性について 一問題提起 史的唯物論は、社会発展、歴史過程に関する一般法則を明確化した科学的理論であるとともに、社会生活の個々の側面または歴史の具体的現象を研究するさいの、唯一の正しい科学的方法である。さらにそれは、社会主義の究極的勝利をもたらすため、社会発展の法則的知識をもって人びとを武装させ、歴史の進行方向に見透しと予見する力をあたえるものである、といわれる。「共産主義のための偉大な歴史的闘争の意識的な参加者となるためには、歴史的諸事件の真の原因と原動力を知り、社会的発展の法則を知らなければならない。社会にかんするマルクス・レーニン主義的科学だけが、社会発展の法則の知識をあたえ、生起する歴史的諸事件のなかで正しい進路を定め、それらの事件の意味を理解し、社会の発展の方向と歴史的展望をはっきりとみる可能性をあたえる。」 マルクスの定式化した史的唯物論は、あらゆるブルジョワ思想と対決し、その徹底的批判を通じて、生みだされたものである。その方法論的発見は、画期的意義を社会科学にもたらしたことはいうまでもない。マルクス主義は、従来さまざまな観念的史観、歴史形而上学的思弁を脱して、右にいわれたような歴史の科学として、はじめて自己完成をみたのである。しかしながら、この偉大な科学的業績は、すでにマルクスの存命中、それを受けとめるマルクス主義者の主体のうちに、みずからの科学性を喪失せしめるような危険性の萌芽をも含んでいた。マルクス自身の言葉として知られる、「私のしっていることは、ただ、自分がマルクス主義者ではないということである」ということが、これを明白に告げている。同様のことは、史的唯物論に関するエンゲルスの言葉からも察知されるところである。「吾々の史観は、なによりもまず研究のさいの手引であって、ヘーゲル主義的な (à la Hegelianertum) 構成のてこではない。全歴史があらたに研究しなおされなければならない。・・・・・そうするかわりに、史的唯物論という常套語は(なんやって常套語にできる)ただ多くのわかいドイツ人が彼ら自身の比較的に貧弱な歴史知識・・・・・・・・をてつとりばやく体系的にくみたて、しかるのち大いにえらがるのにやくだつだけである。」 このエンゲルスの言葉は、史的唯物論がその科学性を保持するには、その理論や方法を支える方法論的態度として、 ドグマ化への傾斜を、たえず意識的に喰いとめる努力がなくてはならないことをよく物語っていると思われる。このことは、現代のマルクス主義者にとっても、より真実であろう。マルクス主義理論は、それがより一層科学的知識として確証をうるには、自己完結した体系であると主張するのではなく、現実体験のなかでテストされ、修正される過程を経なければならないからである。そのためには、それがあくまで仮説的理論である、という謙虚な態度が必要である。そういう研究態度は、もちろん、マルクス主義者自身の問題提起や問題解決のうちにも反映されなくてはならない。科学というものに、独占的排外主義は禁物である。
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機械の現象学 坂本賢三|古本
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機械の現象学 著者:坂本賢三 訳者:ー 発行:岩波書店 発行年:昭和50年初版 寸法;19,3x13,9x2,3cm 状態:ヤケ、シミ、角傷み スレ、汚れ (序論より一部) 序論 機械を哲学することの意味 1 機械と哲学 機械というものは、はたして哲学の対象たりうるものであろうか。 これまで、「科学」や「技術」あるいは「手段」については哲学的考察が行なわれてきた。しかし、「機械」について哲学的に扱われてきたことは、ごくわずかしかなかったといってよい。そのわずかた例の一つであるP・M・シュールの『機械と哲学』は、貴重な書物であるが、機械について「哲学した」ものではなく、哲学史的・技術史的研究である。ラ・メトリの『人間機械論』は機械の研究ではなくて人間についての研究であり、ユーアの『工場の哲学』はマルクスの機械制大工業についての研究に多くの示唆を与えた重要な文献であるが、それは哲学的取扱いではなく、科学的分析の書物である。N・ヴィーナーの『サイバネティクス』は機械を主題にした哲学の書物といってもよいと思われるが、それはサイバネティクスを一つの哲学とみなした場合であり、しかもこの哲学は徹底した科学的方法にもとづく哲学である。科学以外に哲学はないとする科学主義の立場をとる場合は別として、「哲学する」というとき、機械はその対象となり難いらしいのである。
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中世の政治思想 J・B・モラル|古本
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中世の政治思想 著者:J・B・モラル 訳者:柴田平三郎 発行:未来社 発行年:1975年初版 寸法;19,8x14,2x2,3cm 状態:ヤケ、シミ、角傷み スレ、汚れ (第一章より一部) 第一章 中世政治思想とは何か 中世ヨーロッパ世界はひとつの終末――古典古代における古いローマ帝国の崩壊から始まった。 長い間、この巨大な組織は地中海世界に実践的な社会的・政治的統一をもたらしてきたが、紀元後四、五世紀にこの地域の西方におけるローマ文明の全組織は瓦解してしまった。その原因を一八世紀にギボンはバーバリズムとキリスト教の勝利と記したし、今世紀にはアーノルド・トインビーが外的プロレタリアートと内的プロレタリアートの圧力によるものと指摘した。この二人は言葉こそ違え同じことを意味しており、二人とも正しいことを述べているように思われる。 世俗権の領域では蛮族が、動的な精神的活力の領域ではキリスト教が、異教ローマに挑戦して勝利したが、このことは物質的な力を占有することによって、恒久的な政治社会を一人ぎめで建設しようとしてきた全ギリシャ、ローマ文化の伝統の挫折を印したのである。この瓦解するリヴァイアサンをローマと皇帝の崇拝を中心とする総合的な宗教感情で支えようとする試みは、まったく無益なことであった。
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新版 日本の芸術論 安田章生|古本
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日本の芸術論 著者:安田章生 訳者:ー 発行:東京創元社 発行年:昭和32年 昭和47年16版 寸法;18,8x13,5x2,1cm 状態:ヤケ、シミ、角傷み スレ、汚れ (序より一部) すぐれた芸術論を書くことは、すぐれた芸術作品を作るのと同様に、たいへんむつかしいことである。日本においては、理論的に精細ですぐれているという芸術論はほとんど見いだされず、そのすぐれたものの多くは、すぐれた芸術家が深い体験にもとづいて述べた、感想文風のもののなかに見いだされる。そして、日本の芸術論は、その執筆動機を考えると、大体において、教育論的意味をもって書かれたもの(たとえば、藤原俊成の『古来風体抄』や藤原定家の『毎月抄』のごときはそれであり、技術論を主とした啓蒙的な多くの芸術論は、ほとんどこうした性格のものである)、秘伝を子孫に伝えるために書かれたもの(家や伝統を重んじた中世において、このことはいちじるしく、世阿弥の能楽論はその適例である)、随筆的ないしは覚え書き的性格をもって書かれたもの(鴨長明の『無名抄』や田能村竹田の『山中人饒舌』のごとき)、他を論難する目的で書かれたもの(香川景樹の「新学異見』のごとき)、さらにあるいは、門人や知人が聞き書きしたもの(芭蕉の俳論のほとんどは、この例にあたる)というように、分類することができるであろう。このとき、 たとえば世阿弥の場合は、そのいだいていた芸術論のほとんどすべてを、力をこめて書き残したと見られるが、芭蕉の場合は、その芸術論のすべてが的確に書き残されているとはいえないのである。
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回想の内村鑑三 鈴木俊郎編 |古本
¥900
回想の内村鑑三 著者:鈴木俊郎編 訳者:ー 発行:岩波書店 発行年月日:1956年1刷1965年7刷 寸法;18,7x13,5x1,9cm 状態:カバー端ヨレヤブレ、天地小口シミヤケ スレ、汚れ、遊び紙端キレ (はしがきより一部) 戦前の『全集』版には、各卷附錄の「月報」に、もっぱら舊友や近親や弟子たちの懷舊追憶の文章が載せられたが、のち、それらは一書に編集されて『追想集 內村鑑三先生』の名をもって、 昭和九年(1934)に刊行された。親近者の記録として特殊の價値を有するものであった。 そこでこのたび『著作集』版の刊行が完了したに際し、その「月報」に載せられた(また載せちるべくあった)諸家の文章を中心にして、當時「圖書」その他に載せられた文章をも含めて、 一書を編集することとなり、本書の刊行を見るにいたった。ここには、前回の文集には執筆されていず今回はじめて執筆を得た方々の文章のみを選んで収めることとしたのであるが、そういう方々はかなり廣く各方面にわたったのである。そのうちには、彼と同時代のいろいろな時期に、直接間接、彼に接觸した方々の多いことはいうまでもないが、また文章を通してだけ彼を知った後代の方々も少くはない。そのため、數十年をへだつ個人的回想もあれば、すでに一個の歴史的人物としての彼にたいする評論もある。おおむね(わずかの例外を除いて)舊友、肉親、弟子というような特にふかい親近の關係にあるよりは、むしろ思想的にも精神的にも、年代的にも立場のうえでも、遠近の差こそあれ、いまは彼とは相當の距離をもっておられる、それにもかかわらず、あるいは彼について記憶をうしなわず、あるいは彼の感化影響をみとめ、あるいは彼にたいし關心や共感を有せられる、そういう方々によって、ここにきわめて多角的な内村像が描かれたのである。
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政治と歴史 モンテスキュー・ルソー・ヘーゲルとマルクス ルイ・アルチュセール |古本
¥900
政治と歴史 モンテスキュー・ルソー・ヘーゲルとマルクス 著者:ルイ・アルチュセール 訳者:西田長夫 阪上隆 発行:紀伊國屋書店 発行年月日:1974年初版 寸法;19,4x13,5x1,9cm 状態:カバー端ヨレ、天地シミ スレ、薄汚れ (裏表紙より) 本書について 本書は「マルクスのために」『資本論を読む」などを発表して注目される、構造主義的哲学者アルチュセールの独立した、三つの論文から成る。 政治的諸事実を宗教的、道徳的諸原理に従属させることを拒否し、政治学を科学たらしめようとしたモンテスキューの政治理論上の革命と共に、彼の有名な「三権分立」 という諸権力の均衡理論が、絶対王制期の階級対立の中で持った意味を解明する冒頭の論文に続いて、自然状態から社会状態への移行を、共同体に対する諸個人の権利の全面譲渡によって説明したルソーが考察される。プラトンの「イデア」やデカルトの「コギト」と同じく、ルソーの「社会契約」を彼の学説の展開にとって不可欠な「哲学的な対象」と見なす著者は、『社会契約論』の構造とルソー解釈の様々な可能性を分析する。最終論文では、歴史の科学という領域を創始したマルクスの体系と歴史を「精神」の疎外の過程として把えたヘーゲルの弁証法との関連が吟味される。著者は、以上のテーマを通して諸科学の生成と展開の過程で政治と歴史の科学が占める位置を考察している。
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神よりの逃走 マックス・ピカード |古本
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神よりの逃走 著者:マックス・ピカード 訳者:坂田徳男 佐野利勝 森口美都男 発行:みすず書房 発行年月日:1963年1刷1987年22刷 寸法;18,9x13,5x1,7cm 状態:スレ、薄汚れ (裏表紙より) 「これは多分、ビカートのもっとも美しい。 おそらくはもっとも厳粛な、同時にもっとも慰め多い本である」(ヘルマン・ヘッセ) 「あたかも大預言者の一人が墓穴を押しあけて、世間の人間たちに語りかけているかのようだ、何人かのひとにとっては、それは彼らの生涯の偉大な時間の一つ、つまり運命の時なのである。そして彼らは、いつまでもその声に耳を傾ける。いやその声は、 もはや彼らの生涯から離れ去ることはない」 (エルンスト・ヴィーヒェルト) 「この著作が現われた1934年は、たとえば、あの世紀の著作と呼ばれたベルクソン 『道徳と宗教の二源泉』におくれること2 年、カール・バルトの講演『クレド』に先立つことわずか1年という年であった。ピカートはすでに1921年の『末期(まつご) の人間」のうちでこれと本質的に同じ思想を述べており、そのうちにはヒトラーも原爆の出現もすでに明瞭な形で予言されている、このような人がはたしてピカート以外にあったであろうか。」 (坂田徳男)
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哲学の根本問題 エルンスト・ブロッホ |古本
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哲学の根本問題 叢書 ウニベルシタス 著者:エルンスト・ブロッホ 訳者:竹内豊治 発行:法政大学出版局 発行年月日:1974年2刷 寸法;19,3x13,5x2,3cm 状態:カバー端ヨレ、シミ、スレ、ヤケ、汚れ (本文より) 用意をしている 下からのみ始まります。それをわれわれは回避しません、われわれのあるがままに、生きつつ欲しながら。そして突然なにもそこにないのですが、しかししっかと一つのものに向かってです。 思考はそれゆえにしっかと用意をしていなければならず、かくも多くの連続と並列のなかでしきりに見まわします。いつもその真っ只中にあって媒介されており、そっけなく飛び越さず薮から棒に持ち出しながら、またいつまでも望みが高すぎます。だがそれはいくらかでも役に立つなら、 そのためにやって来た当のものをけっして失いません。願わしいのは煮つめられた思考であり、 それもたびたび要請の多い脇筋にかまけながら、それにもかかわらず、それだからこそ本筋を離れないといったような思考であります。それは左に追い抜く一方、前向きに一つのものに嵌めこまれます。
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異化 エルンスト・ブロッホ |古本
¥900
異化 著者:エルンスト・ブロッホ 訳者:片岡啓治 種村李弘 船戸満之 発行:現代思潮社 発行年月日:1976年初版 寸法;19,3x13,5x2,3cm 状態:カバー端ヨレ、小やぶれ、傷み スレ、ヤケ、汚れ (本文より) 目覚める もともと、人は在る。私が在るというのは、時には、まるでそこに在るというのと同じようなぐあいだ。しかしいつでも、どんなに自分に近くても、なお途上なのだ。在るというのは、 決して自分になじまない。 しかもそれは、体にはほとんどかかわりがない。というのも、体にとっては、体が感じられないことこそがふさわしいからだ。体が自らを告げるのは、飢えたとき、そしてとりわけても、 切られて傷つけられたときだけだ。でなければ、体が必要とし、体を満たしてくれるものの途上で、快いとき。とはいえこの道もまた、体を感じないという健康な状態へとこえでてゆく。 それに反して、われわれの自己自身の本来的なそこは、かりにそれが告げられることがあるとしても、それはただ霊的にあらわれるだけだ。正確にはわれわれは、そこにーないことのなかわれわれの直接する今をまさに生きるのであって、ふとそれに気づくことはあっても、そそこにーないを体験することはない。しかも、そこにーないに気づくのさえ、ただ上べほんの上べだけ、目覚めるだけなのだ。この気づくことには決して快いひびきはない。 在るのなかに、人が無媒介に身を置くとき、そこには、何の声もない。そのようにして、亀裂してゆくそこがあらわれてくる、どこまでも問いかけるようにして。
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言語表現の哲学 クロード・ピゲ |古本
¥900
言語学の哲学 著者:クロード・ピゲ 訳者:宇波彰 発行:せりか書房 発行年月日:1972年初版 寸法;19,3x13,5x1,8cm 状態:スレ、ヤケ、汚れ、角傷み (本文より) 問題の二つの側面 哲学的作品の問題には二つの側面がある。それは、世界について考察する独創的な哲学者の態度に身を置くか、あるいは反対に、独創的であると言われる哲学者たちについて考察する、哲学史家の態度を取るかによってである。簡単に言うと、独創的な哲学者は、直接的に存在(あるいは、現実、絶対者など)と結合し、この結合または連絡から、哲学と呼ばれる作品を生み出す。これに反して、哲学史家は絶対者と結ばれていることもあろうが、そのために哲学の作品のテーマと結ばれることが少なくなることはないのである。哲学の作品は、 哲学史家にとっては《存在》であり、彼の研究の中で実在し積極性を持つものであり、彼の本性に従って再構成しようとするのである。そして、哲学史家はこの特別な結合から、哲学史(または哲学的批評)という新しい作品を生み出すのである。
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R倫理学という構え 応用倫理学原論 奥田太郎|古本
¥3,500
倫理学という構え 応用倫理学原論 著者:奥田太郎 訳者:ー 発行:ナカニシヤ出版 発行年月日:2012年9月初版 寸法;19,5x13,5x2,7cm 状態:汚れなく良好 倫理学を学ぶための知的態度(構え)とはどんなものか。 メタ倫理学・規範倫理学・応用倫理学という枠を自在に越えながら「倫理学とは何か」を探究する、 初学者から専門家まで読める「入門書」にして「研究書」でもある一冊。
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国家(下) プラトン著|古本
¥500
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国家(下) 著者:プラトン 訳者:藤沢令夫 発行:岩波文庫 発行年月日:2012年50刷 寸法;14,8x10,6x2,1cm 状態:ブックカバーフィルム貼付
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国家(上) プラトン著|古本
¥500
SOLD OUT
国家(上) 著者:プラトン 訳者:藤沢令夫 発行:岩波文庫 発行年月日:2013年54刷 寸法;14,8x10,6x2cm 状態:ブックカバーフィルム貼付
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芸術作品の根源 マルティン・ハイデッガー|古本
¥700
形而上学入門 著者:マルティン・ハイデッガー 訳者:関口浩 発行:平凡社ライブラリー 発行年月日:2021年6月初版6刷 寸法;16x11x1,2cm 状態:スレ、薄汚れあり
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形而上学入門 付・シュピーゲル対談 マルティン・ハイデッガー|古本
¥700
形而上学入門 著者:マルティン・ハイデッガー 訳者:川原栄峰 発行:平凡社ライブラリー 発行年月日:1998年2月初版6刷 寸法;16x11x2cm 状態:スレ、薄汚れあり
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三木清全集 第一巻~第九巻|古本
¥3,600
三木清全集 第一巻~第九巻 発行:岩波書店 発行年月日:1966年初版 寸法;20,5x14,4x3cm(第一巻) 状態:函スレ、ヤケあり。遊び紙にシミあり。書籍本体良好。 第一巻 パスカルに於ける人間の研究 人生論ノート他 第二巻 史的観念論の諸問題 第三巻 唯物史観研究 唯物史観と現代の意識 社会科学の予備概念 観念形態論 第四巻 知識哲学 弁証法 現代思潮 第五巻 哲学諸論考 第六巻 歴史哲学 社会科学概論 第七巻 哲学入門 技術哲学他 第八巻 構想力の理論 第九巻 アリストテレス ソクラテス
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ツァラトゥストラ ニーチェ著 手塚富雄訳|古本
¥700
ツァラトゥストラ 著者:ニーチェ 訳者:手塚富雄 発行:中公文庫 発行年月日:1994年21版 寸法;15,1x10,6x2,3cm 状態:カバー薄ヤケ、スレ、薄汚れあり 天地小口ヤケあり 無限にゆたかな生命の海にふかく見入って、意志の哲学を思索し、「永劫回帰」の戦慄に耐えて存在の 実相に徹する人間像への希望をうたうニーチェ。近代の思想と文学 に強烈な衝撃を与えた彼の、今日なお予言と謎にみちた本書で、ツァラトゥストラは何を語るか
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サルトル 新潮世界文学47 |古本
¥1,000
サルトル 新潮世界文学47 著者:サルトル 訳者:白井浩司他 出版社:新潮社 発行年月日:1969年4月初版 寸法;20,5x14,3×4,6cm 状態:函ヤケ、汚れ傷みあり。カバー背ヤケあり。 目次 嘔吐 壁 部屋 エロストラート 水いらず 一指導者の幼年時代 蝿 出口なし 恭しき娼婦 汚れた手 アルトナの幽閉者
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ロラン・バルト: 偶発事へのまなざし 桑田光平 |古本
¥1,200
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ロラン・バルト: 偶発事へのまなざし 著者:桑田光平 出版社:水声社 発行年月日:2011年12月1初版 寸法;19,5x13,5×2cm 状態:良好 多少カバーすれ
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写真論 スーザン・ソンタグ|古本
¥900
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写真論 著者:スーザン・ソンタグ 訳者:近藤耕人 出版社:晶文社 発行年月日:2022年44刷 寸法;19,2×13,7×2cm 状態:カバー多少スレあり
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記号と反抗 二十世紀文化論のために 塚原史 |古本
¥500
記号と反抗 二十世紀文化論のために 著者:塚原史 出版社:人文書院 発行年月:1998年7月初版 寸法;19,3x14x2,3cm 状態:カバー帯スレ、端部多少ヨレあり 帯より 世紀初頭、奇しくも同年に出た「ダダ宣言」と『一般言語学講義」 記号そのものの自立を説くことにおいて共通していた。シニフィアン の浮遊――今世紀の文化の諸相は一度は全体主義に回収されながらも この傾向を強め、'68年の叛乱とその後の「大きな物語」の喪失の時代 にことは決定的になった。それはあのボードリヤールの認識にも通じ るだろう。本書は20世紀文化の流れを〈意味から記号へ〉のシフトと 捉え、21世紀の行方を見据える意欲作,斬新な20世紀文化地図である。
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哲学がわかる 形而上学 スティーヴン・マンフォード |古本
¥900
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哲学がわかる 形而上学 著者:スティーヴン・マンフォード 訳者:秋葉剛史 北村直彰 出版社:岩波書店 発行年月:2021年3刷 寸法;18,8x13x1,3cm 状態:汚れ無く良好 帯より 「形而上学」は哲学の核だ。とはいえ、とりわ け初めて哲学に触れる人にとって、形而上学の 問いは掴みどころがなく、きわめて取りつきに くい。本書は「時間とはなにか」「性質とはな にか」といった形而上学の抽象的な問いについ て、それらの問いの意味を平易に解きほぐしな がら、哲学としてこれらを考察する際にどんな ことが問題になるのかを、ポイントを押さえて 明快に示す。
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カント 岩崎武雄 |古本
¥2,200
カント 著者:岩崎武雄 出版社:勁草書房 発行年月:1996年新装版1刷 寸法;19,4x13,8x2,3cm 状態:カバースレ、薄汚れあり。 帯より しかし(カントは)何と言っても十八世紀の人であるから、その哲学が現在で もなおすべてそのまま通用するということのあり得ないことは当然のこと であろう。その中には現代のわれわれから見て不合理な点や理解に苦しむ 点も存在するはずである。私はカント哲学の中に存するこのような側面と 現代においてもなおその意義を有している側面とを区別し、カント哲学がい かなる点で現代的意義を持っているかを明らかにしたいと考えたのである。 「はしがき」より
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随感録 ショーペンハウアー |古本
¥2,300
随感録 著者:ショーペンハウアー 訳者:秋山英夫 出版社:白水社 発行年月:1998年1刷2004年3刷ー 寸法;19,4x13,8x2,3cm 状態:カバースレ、汚れ、端部傷みあり。 目次 判断、批評、喝采ならびに名声について 博識と学者について 自分で考えること 著述と文体について 読書と書物について 言葉と単語について 心理学的覚え書 女について 教育について 人相学によせて 騒音と雑音について 比喩、たとえ話、寓話 二、三の詩